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愛する家族と緑に囲まれて8月の太陽が照りつける暑い日の午後、吉澤康子さんは、涼しげなノースリーブのワンピース姿で駅まで迎えに来てくださった。自ら運転する車で、ご自宅まで約5分。閑静な住宅街にある一戸建てに到着すると、これまた緑がいっぱいの涼しげなお宅だった。 「引っ越してまだ3年目なんです。以前は夫の両親と同じ敷地に住んでいたので、ガーデニングをするのも遠慮がちだったんですが、今は毎日のように庭に出て楽しんでいます。このあいだは枝豆が穫れたんですよ」 ご自慢の庭には、バジル、ミント、しそ、山椒などのハーブ類や、イチゴ、アシタバなどの果物・野菜類、それに、さまざまな草花が所狭しと植えられていた。そのすき間には、ウサギや鳥などのかわいらしい置き物。アンティークな青銅のテーブルと椅子もある。
「疲れたら、ここにすわってコーヒーを飲むと気持ちいいんですよ。虫に食われるのが玉に瑕なんですが」 家のなかも、木の色で統一されたような落ち着いた雰囲気。ご家族の写真が飾ってある玄関を通り抜け、居間に入ると、さらにその奥に吉澤さんの書斎があった。部屋の左右に机とパソコンと本棚がふたつずつあるということは―― 「夫と共有なんです。左側の広いほうがわたしの机(笑)。本当は別々の書斎にしたかったんですが、夫が『部屋を別々にしたら、夫婦のコミュニケーションがなくなる』と言うので」 今年で結婚20周年を迎えるご夫婦とはとても思えない初々しさに思わず感動。ちなみにご主人は高校の物理の先生で、ときに科学の知識が必要となる本も訳す吉澤さんにとっては、翻訳の上でも頼りになる存在なのだそうだ。 中学の英語教師から翻訳家へ転向翻訳を始める前、吉澤さんは中学の英語の先生だった。学生の頃から英語を使って一生仕事がしたいと思っていたため、男女同じ条件で長く働ける教師という仕事を選んだのだ。 「ところが、中学の先生というのは、仕事の半分以上が生活指導なんですね。英語も基礎的なことしかやりませんし、1年もたたないうちに、自分がやりたかったのはこれじゃないと自覚するようになりました。毎日怒ってばかりで、このままでは自分がダメになってしまうと感じたりして。教えることも、自分には向いていないとわかりました」
それでも、通信教育や夜間の通学で翻訳の勉強をしながら、教師の仕事は6年間続けた。途中、結婚や出産もあったが、自分が翻訳家になれるのかどうか見極められるまで、教師をやめるつもりはなかったという。 「昼間は子どもを保育園にあずけて教師の仕事をし、夜は子どもの世話をしながら家のことをし、家族が寝静まったあとで翻訳の勉強を、という生活でした。とにかく忙しかったですね。睡眠時間もほとんどなかったと思います」 それだけ忙しいと、家事をするのも大変だったと思われるが、ご主人は協力してくれたのだろうか。
「それこそ鍋も持ったことがないというくらい、まったく家事のできない人だったんですが、少しずつ教育しました(笑)。手伝ってもらえたので助かりましたね。今では、休日になると夫が夕食の支度をしてくれるんですよ」 理解あるご主人に支えられ、講師の紹介で通信教育の添削を始めた吉澤さんは、やがてロマンス小説の翻訳トライアルに合格。コンスタントに仕事がくるようになり、自分の手で子育てをしたいという希望もあって、学校を退職した。 その後は、ロマンス以外のジャンルにもチャレンジしようと、田口俊樹氏、東江一紀氏などの一流翻訳家に師事。それぞれ1年間という期間を自分で設定し、特に東江一紀氏のもとでは密度の濃い勉強をして、ミステリ、ノンフィクションと、どんどん間口を広げていった。 6年間で22冊、9社から訳書を出版ロマンス小説を20冊ほど訳した吉澤さんは、1994年、『復讐の天使』(エリカ・ホルツァー著)で福武書店(現ベネッセ)からデビュー。2000年6月までのあいだに22冊の一般書を出し、着実に実績を積み重ねている。 驚くのは、それらの作品がさまざまな出版社から刊行されている点。6年間、22冊で、9社とつきあいがあるというのは、かなり多いのではないだろうか。 「よく言われます(笑)。でも、意識して新しい出版社を開拓してきたわけではないんですよ。先生の紹介、友だちの紹介、編集者の紹介などで、気がついたらいろんな出版社とおつきあいしていた、という感じです」 ちなみに、最初の福武書店と、東京創元社、集英社、新潮社は先生からの紹介、祥伝社はエージェントからの紹介、扶桑社は翻訳家のパーティで知り合った編集者からの紹介、早川書房はアン・ペリーの作品を訳していたことがきっかけだったそうだ。 「翻訳の仕事を直接いただいたこともあれば、リーディングや試訳が認められて翻訳に結びついたこともあります。いずれにしても、紹介された仕事というのは、先生や友だちの顔を潰してはいけないと思う分、よけいに緊張しますね。幸い、どの出版社にも満足していただいているようでほっとしています」 なかでも印象に残っているのは、95年に出版された『母を失うということ』(ホープ・エーデルマン著/NHK出版)だという。友人のピンチヒッターとして仕事を引き受けたものの、初めての出版社だったため、編集者から「これまでの訳書を読ませていただいてから、仕事を依頼するかどうか決めます」と言われたのだそうだ。 「どきどきしながら結果を待っていたのですが、結局OKをいただき、翻訳することになりました。とても切ない内容の作品だったので、涙を流しながら訳したことを覚えています。その後、偶然にもこの作品の原書を検討していた文藝春秋の編集の方が、わたしの訳書を読んでくださり、翻訳の早さと訳文を気に入られて、仕事をお願いしたいという電話をくださいました。自分の力が認められたと実感できて、とてもうれしかったですね」 その電話がきっかけで翻訳したのが『トップモデル』(マイケル・グロス著/文春文庫)だ。この作品は、8万部を売るベストセラーとなった。紹介された仕事を期待通りにこなし、確実に次の仕事に結びつける吉澤さんは、やはり相当な実力の持ち主といえるだろう。 テニスにダンス、そしてチェロ来年いっぱいまで仕事がつまっているという忙しい吉澤さんだが、1日のスケジュールはどのようになっているのだろうか。 「朝は夫の出勤にあわせて6時に起床。子どもたちを送り出してから洗濯や掃除をします。その後、9時〜12時まで仕事。以前は8時頃から仕事を始めていたんですが、今は庭いじりが楽しくて、つい遅くなってしまうんですよ。お昼を食べたあとは、また夕方まで仕事ですね。でも、午後は習い事のある日も多いので、集中して仕事をするのは、やはり午前中になります」 家事も仕事もきちんとこなし、ガーデニングにまで精を出す吉澤さんが、さらに習い事までしていると聞けば驚くのはあたりまえ。具体的にどんな習い事なのか興味津々でうかがってみると―― 「体を動かしたいと思い、テニス、社交ダンス、アルゼンチン・タンゴの教室に通っています。音楽が好きなのでチェロも習っています。ときどき息子とテニスをしたり、バイオリンを習っている娘とアンサンブルをしたりするんですよ」 おしとやかな雰囲気の吉澤さんにチェロはまさにぴったりという感じだが、テニスに社交ダンス、アルゼンチン・タンゴとは!(どこにそんなバイタリティが?) それにしても、次々と訳書を出す一方で、これだけ趣味の時間を充実させているというのは、かなりうらやましい話だ。仕事に追われて自分の時間がなくなるということはないのだろうか。 「1か月に100ページ、1日に3〜4ページというふうに、自分でノルマを決めて仕事をしています。ノルマが達成できたら、そこで仕事は終わり。あとは本を読んだり、ストレッチをしたり、チェロの練習をしたり。そもそも、夜は頭が働かなくて、仕事をしても効率が悪くなってしまうんですよ。もちろん、本当に忙しいときは、そんなことは言っていられなくなりますが」 短期間で一気にではなく、毎日こつこつと仕事をこなし、締切より少しでも早く終わらせようとするタイプだという吉澤さん。土日でも、出かける前の1時間などをうまく利用して、仕事をためないようにしているそうだ。
「どんなにもったいないと思っても、スケジュール的に無理な仕事は涙を飲んでお断りします。気に入った仕事を優先的に入れたりと、要領よくできればいいのでしょうが、基本的には受けた順番通りに、やっています。約束した締切までに終わらせることが、信頼関係を築くうえで大切だと思いますので」 フリーランスにはスケジュール管理も大事な仕事の一部。見習いたいものである。 子どもたちに喜ばれる作品を仕事や趣味に忙しく、原書を探す時間がなかなかとれないという吉澤さんも、過去に一度だけ持ち込みをしたことがある。 「アウシュヴィッツ強制収容所に入れられた13歳の少女の物語で、"I Had Lived a Thousand Years"というノンフィクションです。『パブリッシャーズ・ウィークリー』で紹介されているのを見て、原書を取り寄せてもらいました。予想通りすばらしい作品で、すぐに出版社にレジュメを渡し、98年に『わたしは千年生きた』(リヴィア・ビトン=ジャクソン著/NHK出版)というタイトルで出版していただきました」 この作品は、著者自らの経験をまとめた作品"Elli : Coming of Age in the Holocaust"を、ヤングアダルト向けに書き直したものだ。吉澤さんは、のちに両方の作品を読み比べたが、ヤングアダルト版のほうがより優れていると判断。そちらを訳すことにしてよかったという。 「もともと児童書は好きなんです。だからこの本にも目がいったのかもしれません。児童書の翻訳で活躍なさっている掛川恭子先生に教えていただいたこともあるんですよ」 『わたしは千年生きた』は、『カリフォルニア・ブルー』(デイヴィッド・クラース著/新潮社)とあわせて、中学生の娘さんにもすすめたそうだ。今後も、本好きの娘さんやスポーツ好きの息子さんに読ませたいと思えるような作品を訳していきたいと考えている。 「といっても、持ち込みはそれっきり。今は、いただいている仕事をこなすのに精一杯で、定期購読している書評誌もなかなか読めない状態です」 吉澤さんは、今後も「来るものは拒まず」の姿勢で、ミステリやノンフィクションというこれまでの枠にとらわれず、さまざまなジャンルの作品を翻訳していきたいと語る。特に会話文があるものは歓迎するそうだ。 「会話を訳すのが好きなんですよ。翻訳学校で初めて習ったのも、実は映像翻訳だったんです。字幕や吹替を考えるのは楽しかったですね」 最後に、教師の職を捨てて飛び込んだ翻訳の世界についてうかがうと―― 「やはり自分に合っていると思います。恥ずかしいけれど、大げさに言えば、天職かな。これからも長く続けていきたいですね」 翻訳学校から講師の依頼があっても断り続けてきたという吉澤さん。「たとえ相手が大人であっても、教えるのはもうこりごり」と、少女のような屈託のない笑顔で答えてくれた。 インタビュアー:宮坂宏美(2000/9/15) |