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翻訳を教え、翻訳する──現在現在、大学や翻訳学校で翻訳を教えるほかに、単行本の仕事を年に2、3冊やっている。以前と比べ、簡単な仕事ばかりでなく難しいものにじっくり取り組む姿勢になってきている。目下取りかかっている早川書房から出る書籍は、現代作家の手による歴史もので、20人ほどの語り手で構成された作品。それぞれの文体をどの程度まで訳し分けられるかがポイントだ。単なるエンタテインメントでなく、例えば文体に凝った文学的な作品などの仕事が比較的多く舞い込んでくる。まあ、好きで、面白いからやっているが。 最近の仕事は、一昨年から去年にかけて、プレストン&チャイルドの『海賊オッカムの至宝』、イアン・マキューアンが2冊、ドロシー・セイヤーズの短篇集、共編ものを何冊か。最新刊は『文豪ディケンズと倒錯の館』。翻訳以外に雑誌のコラムなどの仕事もある。連載は月刊2誌と週刊1紙。以前は月に5誌の連載をやっていたが、今は翻訳を教える仕事が週に2日あり、とても余裕がない。 大学では翻訳入門という講義を担当している。学生のなかには必ず2、3人、本気で翻訳家を志望する人がいる。翻訳学校(ユニ・カレッジ)でも翻訳コースをやっており、以前は短篇を教材にしていたが、上級者のクラスになって、長篇の少し難しい素材を扱っている。講義は2週間に1回、1回で3、4ページ程度のペース。全20章の小説が、1年半でまだ3章までしか進んでいない。今までにいろいろな翻訳家志望の方を見てきているが、例えば80年代と比べると本気の人が多くなったと感じる。いわば背水の陣。男性は会社を辞めてアルバイトしながら、女性なら離婚してから翻訳修行に入る、そういうパターンが多いようだ。結果、翻訳家の水準は上がってきているという印象。以前なら出版されないような作品も出版され、ただしすぐ消えて行くのが現在の翻訳出版業界の動向なので、1冊だけ翻訳をしてみたいという人にはチャンスはたくさんある。それで生活できるかどうかはまた別の話だが。 読んでいる本──最近最近、日本の近代、明治・大正・昭和初期あたりの小説を読んでいる。新しいものは抵抗がなさすぎて、読んでもあまり面白くない。翻訳ではフランスのものなどを読んでいる。ユルスナルなどは、けっこう読む。イギリスの小説は日常の細かい事柄が題材になるものが多いが、ユルスナルはほとんど詩のように、ひらめきで出てきた言葉がポッポッと書かれている。ある種の飛躍のようなものが、僕にとっては解毒剤として機能している。イギリス文学でついた澱のようなものを、溶かしてくれる。日本では徳田秋声。彼の文章は今の編集者なら絶対に手を入れるような「達意の悪文」で、主語・述語が入れ替わったりして面白い。 睡眠薬代わりの酒──体と食物と健康と最近は酒も寝る前の睡眠薬代わり程度、体重が100キロを超えそうになり、未知の領域に入るのを警戒してダイエットをした時期もあったが、現在は身長175センチで92キロ。特にダイエットの必要性は感じない。85キロくらいが理想的かと個人的には思っている。ダイエットが必要なときはおかゆがいい。おかゆはすぐ痩せる。僕は毎日一万歩歩いているので、運動不足ではなく、逆に筋肉が付いて体重が減らない。体脂肪率は実は低い。食事は毎日自分が作る。玄米や五穀など自然食も取り入れる。外食はあまりしない。国立に越してからも、探せばいろいろいい店がありそうな土地だが、まだまともな店には足を踏み入れていない。自分で作って食べたほうがラクでいい。出不精というわけではない。元気がよければ府中まで、疲れてるときでも立川まで往復で歩く。大学の授業の関係で思うように休みが取れなくなったので、最近は旅行にもあまり行かない。 興味あるもの──過去から現在の仕事へ翻訳家生活25年で約70冊の書籍に関わってきたが、過去の仕事については忘れているものもあるくらいで、いつでも今取りかかっている素材に一番興味がある。今まで平均して年に3冊。他に雑誌の仕事もあるが、このペースなら、贅沢をしなければ十分やっていける収入が得られる。大学の講義と雑誌の仕事を減らし、単行本の点数を増やすこともできるが、そうせずに、いまの仕事のやり方を続けているのは、気晴らしが必要だという動機があったから。単行本の翻訳だけだと、1週間、誰とも言葉を交さずこもりっきりということもざらで、これはまずい。人と話をする場として教室が必要だった。ところが、当時の生徒に聞くと、「先生は授業中でも20分くらい黙ってた」と言われる。自分では気づかなかったことなので驚いた。教えることはある意味で、リハビリだった。 今年は国書刊行会からミステリを1冊(グラディス・ミッチェル『ソルトマーシュの殺人』)、東京創元社から他の3人(東江氏、日暮氏、池氏)と一緒に歴史ミステリを1冊、河出書房新社からP・マグラアの本が1冊、前述の早川書房のややこしい歴史ものがうまく行けば今年中に、というスケジュール。早川のものは深刻なテーマを笑いのめしたブラック・コメディ。語り手の一人にタスマニアの男の子が出てくるのだが、この子はタスマニア人の母と犯罪者であるイギリス人の父の間に生まれ、敬虔なキリスト教徒のおばさんに育てられた。犯罪者の俗語とキリスト教徒の言葉がごちゃまぜになった英語をしゃべるという設定で、やっていて面白い仕事ではある。 最近はイギリス小説にも面白い作品がある。粒揃いなのはいいが、大きな粒がない。柱がなくなって何でもあり、という感じは日本の文芸界と似ている。テーマが広がったぶん、さまざまな人種のイギリス人が思い思いに書いている。ジャマイカや日系の作家もいる。本来のイギリス生まれのイギリス人作家は対象を過去に求め、歴史小説を書くケースが多いようだ。個人的に注目しているのはインド人のヴィクラム・セイトで、彼は一種の天才。代表作がやたらと長い――訳すと5000枚くらい――ので、訳す人がいない。日系ならカズオ・イシグロ。イギリスでもミステリはハードボイルドが流行り、アメリカナイズされている。エージェントの関係で、イギリスはアメリカとマーケットを共有するようになり、イギリスだけで売る本はなくなってしまった。アメリカでも受ける、というのが出版の条件なので、イギリスらしい作品が出づらいのが実情。最初からアメリカ向けに書かれているから、説明過剰で、例えばケン・フォレットの小説でもイギリス人なら誰でも知っているようなことがいちいち書かれている。少し悲しい気がする。 |